足利尊氏の母・上杉清子とはどんな人物だったのか ― 手紙と和歌が伝えるその生涯

上杉清子。その名前を聞いたことがあるだろうか。おそらくあまり知られていないこの女性について、日記、書状、和歌、墓標、寺の伝承と、残された断片をたどっていく論文がある。

今日の論文

  • 著者: Karen M. Gerhart ― ピッツバーグ大学(美術史・日本中世史)
  • タイトル: Reconstructing the Life of Uesugi Kiyoko (上杉清子の生涯をたどる)
  • 掲載: Japan Review 31、2017年、pp.3-24 / DOI: 10.15055/00006835
  • 論文はこちら: https://doi.org/10.15055/00006835
  • アクセス: 無料公開(誌サイトから日文研オープンアクセスのPDFへ・CCライセンスの明示なし)

どんな論文?

この論文が言っているのは、ひとことで言えば、上杉清子とは自分の意思で所領を動かすことができ、軍事にも関心を持ち、2人の息子が手を組めるよう取り持った女性だった、ということである。

上杉清子(1270-1342)は、室町幕府を開いた足利尊氏と、その弟で幕政を担った直義の母である。息子2人が新しい政権をつくっていく時代の大きな渦の中を生きた人だが、その生涯は驚くほど分かっていないという。中世の記録は女性を名前で呼ばず、誰それの娘、誰それの妻と書かれることが多いからだ。尊氏を扱った研究のなかでの言及はあるものの、清子ひとりを主題にした研究は英語でも日本語でも書かれてこなかった、と著者は述べる。

そこで著者が集めるのは、様々な断片である。公家や僧が書いた同時代の日記、清子自身の手紙、勅撰集に残る和歌、そして丹波に残る史跡。複数の資料を重ねながら、その姿を追いかけていく。

清子の生まれ育った土地について研究者の見解は割れていたが、晩年の手紙を根拠に著者は丹波説をとる。寺への所領の寄進を伝える手紙も残っており、自分の判断で土地を動かせる立場にあったことが分かる。和歌の世界でも名を知られ、没後に編まれた勅撰集に歌が入るほどだったという。

また、1338年の手紙では、足利軍が宿敵と戦った合戦の顛末を、人と場所を挙げて詳しく報じている。このとき清子は69歳。この手紙は、中世の女性と軍事のかかわりについての見方を大きく動かすものだ、と著者は書く。

亡くなった後の記録も著者は追っていく。夫の没後の呼び名(浄妙寺殿)は清子へ移され、清子自身の法名(等持院殿)はのちに尊氏へ移された。また、清子が没したと聞いた尊氏の敵方、北畠親房が政情の乱れを案じたという文書が残る。尊氏・直義兄弟の仲は、実際に清子の死後に崩れていった。ここから著者は、清子が2人のあいだを取り持っていたのだろう、と読む。

正史には残らない断片をつなぎ合わせることで、一人の女性の輪郭が立ち上がってくる。そういった歴史研究であると私は理解した。

ここが面白い&読んでみてほしいポイント

室町幕府や足利尊氏については歴史の授業で習ったが、当然その尊氏にも母親がいた。尊氏は側室の子で、当初の跡取りは正室が産んだ兄だった。母親についての記録も少ないという。そうした困難さを抱えながらも、著者は散逸した複数の資料から上杉清子という人物の人生を「再構築」していく。この論文はそういった作業の積み重ねから出来上がっている。

女性と戦との関わりというと、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の妻、政子が御家人をまとめたという話を思い出す。だが、合戦の顛末を詳しく書き送った例は聞いたことがなかった。戦の結果も、手紙で伝えあう話題の一つだったのかもしれない。

歴史のなかで、女性は役職や、誰それの母、誰それの娘という形で記録されることが多い。正史に名前が挙がるのは男性ばかりと否定的に見ていたが、当時の文脈に置いてみると、そう単純ではないのかもしれない。誰の母であるか、どの家の出であるかを書き添えることは、その人を特定するうえで必要なものだった。そういう見方もできそうに思えてくる。

清子の持つ名前は、家族や、生涯でかかわりの深かった場所と結びついている。また、家名の連なりは時代とともに書き換えられていく。15世紀とされる系図は足利とのつながりを強調し、18世紀の記録は足利に触れず、藤原の名で彼女を呼ぶ、というのも名前の持つ意味合いの変化を感じることができて興味深い。

2026年まで週刊少年ジャンプで連載された『逃げ上手の若君』は、中先代の乱を起こした北条時行を主人公にした作品である。ここでの尊氏は主人公の敵として、底知れない恐ろしさをまとった姿で描かれる。尊氏・直義兄弟のあいだを母の清子が取り持っていたのかもしれないとすると、恐ろしさの奥にある人間らしい側面が、少し見えてくるようでもある。

論文の続きはぜひ上記のリンクからご確認いただきたい。

※本記事は、論文の機械翻訳とAIによる要約を参考にしつつ、原文の要所を筆者自身が確認したうえで執筆しています。それでも誤りが含まれる可能性があります。お気づきの点があれば、ご指摘いただけるとありがたいです。訂正を行った場合は訂正の記録に記載いたします。


カテゴリ: 論文レビュー / タグ: #上杉清子 #足利尊氏 #中世 #女性史 #日本研究 

出典: Karen M. Gerhart, “Reconstructing the Life of Uesugi Kiyoko,” Japan Review 31 (2017), pp.3-24. https://doi.org/10.15055/00006835 (CCライセンスの明示なし)/確認源 https://japanreview.jp/issues/31/2697/

※プリンストン大学で日本中世史を研究するトーマス・コンラン博士(以前本ブログで元寇に関する論文を紹介)は、中世の古文書を読むためのサイトを公開しており、合戦を伝える清子の書状も写真と翻刻、英訳とともにそこで読める。この書状の英訳と読解を著者に提供し、丹波で生まれ育ったと記す別の書状の存在を著者に伝えたのも同氏だという。

※著者は中世日本における死と葬送の物質文化を研究してきた。位牌や墓標から一人の生涯をたどるこの論文もその延長にある。