髪の毛を織物や像に縫い込むと聞くと、藁人形に相手の髪を入れる丑の刻参りをイメージしてしまう。しかしこの論文で扱われる「髪刺繍」は正反対だ。仏を描いた織物に自らの髪を縫い込むことで、浄土へ至る功徳を得ようとする、祈りのプロセスなのである。
今日の論文
- 著者: Carolyn Wargula(キャロリン・ワグーラ) ― バックネル大学(美術・美術史)。本論文発表時はウィリアムズ大学
- タイトル: “Embodied Objects: Chūjōhime’s Hair Embroideries and the Transformation of the Female Body in Premodern Japan”(具現化された物体 ― 中将姫の髪刺繍と前近代日本における女性の身体の変容・仮訳)
- 掲載: Religions 12, no. 9 (2021): 773(特集 “Buddhist Women’s Religiosity: Contemporary Feminist Perspectives”)
- DOI: 10.3390/rel12090773
- 論文はこちら: https://doi.org/10.3390/rel12090773
- アクセス: オープンアクセス(CC BY 4.0)
どんな論文?
本論文は、仏教芸術における「毛髪」という身体の一部の役割と、そこに映る女性の捉え方の変化を明らかにしようとした研究である。ワグーラ博士は、當麻寺の當麻曼荼羅や髪の毛で刺繍が施された仏画、男性に変身することなく成仏したとされる伝承などを紐解くことで、仏教と仏教美術における女性の身体性を研究した。
中将姫伝説とは、鎌倉時代ごろから広まった、奈良時代の架空の人物に関する伝承である。中将姫は奈良県の當麻寺に収められている「當麻曼荼羅」の作者ということになっている。母を亡くし、継母のいじめにあうも臣下に救われ、その清き心と信心から最後には仏の下に召される物語は、シンデレラ風の伝説として親しまれた。
鎌倉時代、女性の不浄を強調した熊野比丘尼らの教えに対し、中将姫の伝説は、身体そのものを清浄な仏へと変容させる救済のシンボルとして支持された。仏像や梵字といったイコンに髪を縫い込む手段は、男性に姿を変えず、女性のまま成仏できることを示す救いとなっていた。そこでは髪の毛という具体的な身体の一部が、刺繍という行為を通じて仏の姿と一体化することで、神聖な存在に変化していくのである。
一方、江戸時代に入ると、中将姫の伝説は女性の浄土への救済を語るだけのものではなくなる。京都・大樹院の空念上人は、日本中を巡って各地で當麻曼荼羅を縫った。縫われた曼荼羅に参拝すれば當麻寺に参拝するのと同じ功徳が得られると説かれ、聖地への「代理訪問」を実現する役割が加わっていった。博士はこうした伝説と信仰の結びつきが、単なる図像のイメージだけでなく、それを構成する「物質」そのものが宿している力によるものであることを説明しているのだと、私は理解した。
ここが面白い&読んでみてほしいポイント
この論文を読んでまず感じるのは、仏教における性別の扱いの苛烈さと、それに向き合う女性の信仰のプロセスである。不浄性を背負わされた女性の髪が、一転して神聖なものへと変わっていく。そのイメージの転換がそこには存在する。しかし、奈良→鎌倉→江戸と時代をまたぐ髪刺繍の物語を追ううちに、美術品や宗教という個別のテーマを越えて、祈りという行為、毛髪という物質、それを媒介する伝承こそが論文の主役であることが見えてくる。伝承は人の想いをのせて受け継がれていく。物語の内容が抽象的で、あいまいであっても――むしろそれゆえに――語り、受け取る人間の想いがそこに込められる。中将姫の伝承にも、人々は自身の苦難を投影したのかもしれない。
博士は国際交流基金のウェブマガジンに寄せた文章の中で、繍仏の魅力は美しさだけでなく、作品を通して中世日本の宗教的・神秘的な考え方が見えてくることにある、という趣旨を語っている。一方で、繍仏に魅せられた理由そのものは、本人にもはっきりしないという。1000年の時を越えてこの宗教芸術と物語が研究される。その「判然としないが惹きつけられる」魅力こそが、當麻曼荼羅が現代まで伝わってきた背景なのではないかと想像してしまう。
本論でも取り上げられる文化人類学者ティム・インゴルドは、著書『ラインズ―線の文化史』の中で、糸を束ねることは世界の中に一つの場所を築くことであり、束ねられた糸の先端はさらに伸びて、やがて別の糸と新しい結び目をつくる――線は生命のように終わりがない、といったことを述べている。この論文もまた、中将姫伝説という長く枝分かれした糸と日本研究との間に結ばれた、一つの結び目なのかもしれない。博士がこれから延ばしていく糸の先を、これからも見ていきたい。論文の続きはぜひ上記のリンクからご確認いただきたい。
※本記事は、論文の全文を機械翻訳で読んだうえで執筆しています。それでも誤りが含まれる可能性があります。お気づきの点があれば、ご指摘いただけるとありがたいです。訂正を行った場合は訂正の記録に記載いたします。
カテゴリ: 論文レビュー / タグ: #中将姫 #當麻曼荼羅 #仏教美術 #ジェンダー #日本研究
出典: Wargula, Carolyn. “Embodied Objects: Chūjōhime’s Hair Embroideries and the Transformation of the Female Body in Premodern Japan.” Religions 12, no. 9 (2021): 773. https://doi.org/10.3390/rel12090773 (オープンアクセス・CC BY 4.0) 参考: 「繍仏(しゅうぶつ)の制作者と意味の解明」国際交流基金ウェブマガジン「をちこち」
※博士は沖縄と仙台で育ち、16歳でアメリカに移住。国際交流基金のフェローとして京都・日文研で調査を行った。現在は、バックネル大学で教えるかたわら、髪刺繍に関する近著を準備中とのこと。
※折口信夫の幻想小説「死者の書」で中将姫は千部の写経の末に、時空を越えて飛鳥時代の大津皇子の亡霊と邂逅する姫として描かれる。
