海を渡ってきたお稲荷さんは、弘法大師の盟友だった? ― 中世日本が記した稲荷神の物語

「お稲荷さん」と聞いて思い浮かべるのは、狐、商売繁盛、赤い鳥居といったイメージではないだろうか。ところが中世の文献をたどると全く異なる姿が浮かび上がってくる。今回紹介するのはそんな稲荷信仰の生存戦略を読み解いた論文である。

今日の論文

  • 著者: Matthew Keller ― デトロイト美術館
  • タイトル: “Inari Origin Stories: Crafting Narrative in Medieval Japan”(稲荷の起源譚 ― 中世日本における物語の構築・仮訳)
  • 掲載: Japanese Journal of Religious Studies 52, 2025年、pp. 105–126 / DOI: 10.18874/jjrs.52.2025.105-126
  • 論文はこちら: https://doi.org/10.18874/jjrs.52.2025.105-126
  • アクセス: オープンアクセス(南山宗教文化研究所サイトで全文公開・CCライセンスの明示なし)

どんな論文?

この論文が言っているのは、ひとことで言えば「中世の稲荷は、仏教にも神道にも回収されない“あいまいさ”を保ったからこそ、独自の地位を築けた」ということだ。

出発点に置かれるのは、1474年に成立した『稲荷大明神縁起』である。稲荷と弘法大師(空海)は前世のインドで釈迦の説法をともに聞いた仲であり、日本で再会したのち、稲荷が密教の教えの守護者として稲荷山に住み着いた――そう語られる。稲荷社は応仁の乱で焼失し、再建の支援を東寺に求める必要があった。しかし9世紀の記録では、東寺が稲荷山の木を伐ったことで神が祟ったとされている。出発点は対立だったのに、中世の物語では両者は盟友として描き直されているのである。

著者は、稲荷が特定の仏の垂迹に収まりにくいという宗教学者の山折哲雄の指摘を踏まえ、その決まらなさが中世の書き手たちの選択の結果だったと論じる。背景にあるのは、当時の宗教界の主導権争いである。稲荷の物語の書き手たちは、その本地垂迹を巡る対立のいずれにも正面から与しなかった。結果として「稲荷の本体は何か」が定まらない。この決まらなさこそが稲荷信仰の中核を保たせ、稲荷をどの仏の下位にも置かせなかったのだという。

もう一つの戦略が、稲荷を海の向こうから来た神として造形することだった。『稲荷記』のなかで稲荷は唐から来た王であり、衆生を救うために日本へ渡ってきたと名乗る。14世紀初頭の『乙足神供祭文』では、稲荷神が天狐の姿で日本を目指す途中、巨大なナマズに飲み込まれる。それを救ったのが秦乙足――稲荷神社の神職を務めた秦氏の祖であり、秦氏自身も朝鮮半島からの渡来氏族である。渡来した神という位置づけは仏教の教えが大陸から伝わった道筋と重ねられ、稲荷山の土地神という枠に閉じ込められず、「帰り来る神」と呼ばれる、海の向こうから渡ってきた神々の系譜に位置づけ直される。

そして稲荷は「命婦」という女神の姿も得る。雷神と化した北野天神が醍醐天皇に襲いかかったとき、天皇を覆い庇ったのは命婦だった、と『稲荷記』は語る。このように統一や明確化ではなく、多様さとあいまいさこそが稲荷に一貫性と存在感を与えたのだと私は理解した。

ここが面白い&読んでみてほしいポイント

海を渡ってきた稲荷神が途中でナマズに飲まれ、渡来系氏族の秦乙足に助けられたこと。空海の盟友として密教の守護者の役割を担ったこと。どれも初めて知る話であった。

稲荷の名が記録に現れるのは8世紀にさかのぼるが、稲荷そのものを主人公にした物語が一気に増えるのは13世紀以降であるという。しかもそれらは、古い伝承をそのまま書き留めたのではなく、そのときどきの必要に応じて筋を組み替えている。そう聞くとその由来が曖昧になるように聞こえるかもしれない。だが当時の宗教界の主導権争いは、おそらく想像を絶するものだったのだろう。書き手たちは稲荷神をその中で生き残らせるために知恵を絞り、立ち位置を定めていったと読み取れる。

一方で、論文の結びでは現代との対比が描かれる。今日の伏見稲荷や豊川稲荷は、狐や宝珠が何を意味するのかを積極的には語らない。だからこそ参拝者は、それぞれの解釈で神と結びつくことができる。

伏見稲荷大社のHPによると夥しい数の鳥居は、江戸時代以降、さまざまな人が願をかけ、その成就を祝って建立されてきたものだという。神社の持つあいまいさが、多様な願いを受け入れる土台になっているのかもしれない。

中世と現代とで、これほど異なる稲荷神の姿を見ると、私たちが「昔から変わらない」と感じているものの多くも、実はどこかの時点で誰かが選び取った形なのかもしれないと考えさせられる。あいまいさを持ち続ける稲荷神はこれからも時代の変化と人々の願いによって姿を変えていくのだろうか。論文の続きはぜひ上記のリンクからご確認いただきたい。

※本記事は、論文の機械翻訳とAIによる要約を参考にしつつ、原文の要所を筆者自身が確認したうえで執筆しています。それでも誤りが含まれる可能性があります。お気づきの点があれば、ご指摘いただけるとありがたいです。訂正を行った場合は訂正の記録に記載いたします。


カテゴリ: 論文レビュー / タグ: #稲荷 #伏見稲荷大社 #弘法大師 #空海 #神仏習合 #日本研究

出典: Keller, Matthew. “Inari Origin Stories: Crafting Narrative in Medieval Japan.” Japanese Journal of Religious Studies 52 (2025): 105–126. https://doi.org/10.18874/jjrs.52.2025.105-126 (CCライセンスの明示なし・© 2025 Nanzan Institute for Religion and Culture)/南山宗教文化研究所サイトで全文公開、2026-07-26確認

伏見稲荷大社ホームページ: https://inari.jp/about/faq/

※著者は美術館に籍を置く研究者である。ACLSがHo財団の支援で運営し、研究者を美術館・図書館・出版社に派遣する「Buddhism Public Scholar」の枠で、デトロイト美術館に着任している。