人と自然の関わり方を考え直す ― 環境哲学で読み解く『ダンジョン飯』

※ネタバレ注意。以下の文章では『ダンジョン飯』アニメ第1期の展開に一部触れています。

食うか食われるかに上下がないのはダンジョンの中だけだろうか――。

『ダンジョン飯』は主人公ライオスの妹ファリンがドラゴンに食われるところから始まる。モンスターを調理して食べるグルメファンタジーとして有名な本作を「環境哲学」の観点から読んだ論文がある。

今日の論文

  • 著者: Daniel Ambord ― 独立研究者
  • タイトル: “The Eye of the Dragon: Ecological Thinking in Delicious in Dungeon”(竜の眼 ― 『ダンジョン飯』における生態学的思考・仮訳)
  • 掲載: Journal of Anime and Manga Studies, Vol. 5, 2024, pp. 31–50 / DOI: 10.21900/j.jams.v5.1605
  • 論文はこちら: https://doi.org/10.21900/j.jams.v5.1605
  • アクセス: オープンアクセス(CC BY-NC 4.0)

どんな論文?

この論文が言っているのは、ひとことで言えば「『ダンジョン飯』は、食べ、食べられる関係の描写を通じて『人間は自然の外側にいる』という思い込みを崩す物語だ」ということだ。

論文の出発点に置かれるのは、冒頭のファリンの場面である。著者のアンボード氏はここに、1985年にオーストラリアでワニに襲われて生還した哲学者ヴァル・プラムウッドの体験を重ねる。プラムウッドは、自分が「食べられる側」になった経験から出発して、人間だけを食物連鎖の外に置く近代の考え方を問い直した。人間も他の生き物の世界の一部であるというプラムウッドの思想を重ねながら物語を読み込んでいく。

主人公たち一行はファリンを救うためダンジョンの探索を続けるが、物資の枯渇したパーティはモンスターを調理して食べる道を選ぶ。モンスターを捕獲し、食べるには、その生態と体のつくりを知らねばならない。だから一行の食事は市場の塩漬け肉を食べるときとは異なり、生き物とのつながりがみえるようになる。

論文が注目するのはダンジョンの良き管理者を自認していたセンシが飼い慣らしたと思っていた水棲モンスターのケルピーに襲われる場面だ。信頼していた相手(自然)に突き放され、ダンジョンやモンスターに人間の物語を当てはめることの危険さを突きつけられる。この論文はそれを哲学者ドナ・ハラウェイの議論や先のプラムウッドの思想と接続する。

ダンジョンは単なる人間のための狩場ではなく、土地と生き物が相互に依存し合う一つの生態系であり、一行はその中で食べ、時に食べられかける存在として旅をする。環境や生物を人間の考え方で理解するのでもなく、モンスターの思考を完全に理解することもできない中でモンスターと同じ世界を生きる方法を模索する。こうやってモンスターと関わりながら進んでいく『ダンジョン飯』は、人間中心の考え方を組み替えるための思考モデルになる、と論じられていると私は理解した。

ここが面白い&読んでみてほしいポイント

『ダンジョン飯』はいろいろなことを考えさせられる作品だ。論文で言及されているシーンではないが、ケルピーに襲われる前センシはマルシルの魔法を便利なものに頼りすぎることへの懸念から遠ざけていた。ダンジョンの中で暮らしてきたセンシにとって、魔法は現代における最新技術のような、便利ではあるが仕組みを理解しきれない、気持ちの悪い存在であったのかもしれない。しかし、センシはケルピーに襲われた後、マルシルの考えを少しだけ受け入れるようになる。論文を読んでから改めてその場面を見ると、一度理解することから突き放されたセンシが形は違えども、理解できないものを理解しようとする試みの一つのように感じられた。

もう一つ、この論文を読んで思い出したのは近年日本で市街地に多数のクマが出没し、人が被害にあっているという事例だ。過疎化や耕作放棄によって「里山」という緩衝地帯が失われ、クマの生息域と人の生活圏が隣接してきていることや山の中のクマの食料が減っていることなどが原因として挙げられることが多い。『ダンジョン飯』でも、ダンジョン内の環境の変化によってモンスターが増減し、近隣の町にまで影響が及ぶ様子が描かれている。

街の中にいれば、少なくとも突然「食べられる」ことはない――そう思い込んできた私にとって、あのクマのニュースは、どこか理解の範疇を超えた出来事だった。しかし、人間の暮らしと自然は、思っていたほどきれいに切り分けられてはいないのかもしれない。自然とのかかわり方をいま一度考え直すうえで、『ダンジョン飯』と本論文は、環境哲学の入口として、手がかりをくれた気がする。

論文の続きはぜひ上記のリンクからご確認いただきたい。

※本記事は、論文の機械翻訳とAIによる要約を参考にしつつ、原文の要所を筆者自身が確認したうえで執筆しています。それでも誤りが含まれる可能性があります。お気づきの点があれば、ご指摘いただけるとありがたいです。訂正を行った場合は訂正の記録に記載いたします。


カテゴリ: 論文レビュー / タグ: #ダンジョン飯 #九井諒子 #環境哲学 #プラムウッド #日本研究

出典: Ambord, Daniel. “The Eye of the Dragon: Ecological Thinking in Delicious in Dungeon.” Journal of Anime and Manga Studies, vol. 5, 2024, pp. 31–50. https://doi.org/10.21900/j.jams.v5.1605 (CC BY-NC 4.0)

※タイトルの『竜の眼(Eye of the Dragon)』は、プラムウッドが遺した著作『ワニの眼(Eye of the Crocodile)』を受けていると考えられる。
※論文ではライオスと相棒の剣「ケン助」の関係にも触れている。単純に道具として扱わないその態度もまた、他者との関わりの一例として読まれている。