「テレビゲーム」はどこから来てどこに向かうのか——ファミコンとパソコン、多層的な市場が形成されるまで

ファミコン、マリオ、ポケモン。日本のゲームの歴史と聞いて浮かぶのは、世界を沸かせた名前ばかりかもしれない。しかし、日本の中でゲームの市場とそのイメージはどのように形づくられてきたのか。そこにはゲーム会社のどのような思惑が込められていたのだろうか。そんな日本のゲームの歴史をたどり直した論文がある。

今日の論文

  • 著者: Martin Picard ― ライプツィヒ大学(日本学)
  • タイトル: The Foundation of Geemu: A Brief History of Early Japanese video games (Geemuの礎——初期日本ビデオゲームの簡潔な歴史[仮訳])
  • 掲載: Game Studies 13巻2号(2013年12月)、ページ番号なし(ウェブ版のみ) / DOI: DOIなし
  • 論文はこちら: https://gamestudies.org/1302/articles/picard
  • アクセス: オープンアクセス(Game Studiesで無料公開・CCライセンスの明示なし)

どんな論文?

この論文が扱うのは、日本のゲームが世界で売れるようになる前に、日本の中で何が起きていたかだ。著者によれば、英語圏のゲーム研究や通史は日本のゲームを世界的なヒット作や多国籍企業の動きとして語り、日本国内で市場がどう形づくられたかをほとんど扱ってこなかったという。著者はこの空白を埋めるため、家電・おもちゃ・アミューズメント施設向けの機器の産業が交わる場所で育った独自の生態系を、「ゲーム」の日本語読みから「geemu」と名づけ、1970年代から80年代の歩みをたどり直す。

まず手がかりになるのが「テレビゲーム」という呼び名だ。著者によれば、1970年代半ばの国産の家庭用ゲーム機は9割が東芝やシャープといったテレビメーカーの製品で、この呼び名はそこから定着した。米国のゲームが軍の資金に支えられた研究から生まれたのに対し、日本では、戦後の消費社会ですでにアミューズメント施設向けの機器やおもちゃ、家電で商売をしていた企業や、海外の製品の輸入を手がけていた会社が参入したと著者は見る。

始まりは模倣でもあった。1973年7月、輸入業から出発したタイトーとセガは、アタリ社の『ポン』に倣った業務用機を発売し、売れた作品にはすぐ似た製品が続いた。その流れを変えたのが1978年の『スペースインベーダー』で、テーブル型のゲーム機を喫茶店などに並べた「インベーダーハウス」が各地の街に現れたという。

ファミコン(1983年)の時代については、ハードではなくソフトで利益を上げる仕組みや、他社へのライセンスの管理、ファンクラブや雑誌、攻略本を巻き込んだ宣伝が取り上げられる。著者は結論で、日本企業が持ち込んだこうした手法がのちに業界の標準になったと述べる。その一方で著者は、家族向けを打ち出したファミコンとは別に、パソコンのゲームが同人ソフトなどの受け皿として独自の地位を築いたことにも触れ、日本のゲーム市場が機種やジャンルごとに分かれた複雑なものだったことを示す。

そのうえで著者は、日本のゲーム産業を世界と国内の両方に足場を置く「グローカル」な産業と位置づける。海外で日本製であることを売りにしなかったことが、欧米のゲーム史の書き手や研究者が日本国内の市場の動きに気づきにくかった理由の一端かもしれない、とも同氏は言う。そして、輸出されるのは選ばれた一部の作品にすぎないのだから、ゲームの歴史を語る者は日本国内の市場を見落としてはならないと同氏は指摘する。

ここが面白い&読んでみてほしいポイント

著者は、英語圏から日本のゲームの歴史の研究を見ている。日本で日本のゲーム研究を行うのとも、米国のゲームの歴史を追うのとも異なる視点の横断がそこには見える。

著者がこの論文で使った「geemu」という用語はソフト・ハードの垣根を超えた、日本語のゲームに近い概念だと考えられる。そもそも、日本語の「ゲーム」が英語のgameとは違う意味で使われていることに、これまで気づいていなかった。日本では「ゲーム」と言うだけでビデオゲームを指すことが多く、マンガやアニメと同じように、媒体そのものと一つひとつの作品の両方を指す言葉になっていると著者は書く。

個人的には日本語のゲームは「おもちゃ」に近い感覚があり、今でこそ幅広い世代が楽しむものであるが、以前はもっと「子ども向けのもの」である感覚があったような気がする。しかし、この論文を読んでいくと、そのイメージは作られたものかもしれないと考えさせられる。子どもを主な客にしたファミコンと、ニッチな需要を満たしていったパソコンゲームという住み分けも面白い。こうした受け止め方の違いが、日本や世界のゲーム市場のでき方にも影響しているのかもしれない。

著者は、海外では「日本」が売りにされてこなかった一方で、近年は日本の大衆文化やゲームのファンのあいだで日本らしさが意味を持ちはじめ、ファンと業界のあいだにやりとりが生まれていることにも触れている。日本のゲーム会社は今後、日本らしさを前に出した作品でヒットを出すのか、それともグローバルな文脈で受け入れられる作品をつくっていくのか、これからのゲームの歴史からも目が離せない。論文の続きはぜひ上記のリンクからご確認いただきたい。

※本記事は、論文の機械翻訳とAIによる要約を参考にしつつ、原文の要所を筆者自身が確認したうえで執筆しています。それでも誤りが含まれる可能性があります。お気づきの点があれば、ご指摘いただけるとありがたいです。訂正を行った場合は訂正の記録に記載いたします。


カテゴリ: 論文レビュー / タグ: #ゲーム史 #日本研究 #ファミコン #テレビゲーム #ゲーム研究
出典: Picard, Martin. “The Foundation of Geemu: A Brief History of Early Japanese video games.” Game Studies 13(2), 2013. DOIなし(オープンアクセス・CCライセンスの明示なし)

※「ファミリーコンピュータ」という名前には、親に買ってもらうための「ファミリー」と、当時家庭でゲームを遊ぶ道具の主役だったパソコンを意識した「コンピュータ」という、任天堂のねらいが込められていたと著者は注で説明している。