※以下の文章では『ファイナルファンタジーX(以下、FFX)』のネタバレを一部含みます。
スクウェア・エニックスのRPG『ファイナルファンタジー』の名は、ゲームに詳しくない人でも一度は聞いたことがあるだろう。そんなFFを文学の観点から読むという。いったいどんな論文だろうか。
今日の論文
- 著者: Dennis Washburn(デニス・ウォッシュバーン) ― ダートマス大学
- タイトル: “Imagined History, Fading Memory: Mastering Narrative in Final Fantasy X”(想像された歴史、褪せゆく記憶 ― FFXにおける物語の統御・仮訳)
- 掲載: Mechademia, Volume 4 “War/Time”, 2009, pp. 149-162 / DOI: 10.1353/mec.0.0089
- 論文はこちら: https://doi.org/10.1353/mec.0.0089
- アクセス: オープンアクセス(掲載誌サイトで全文公開・CCライセンスの明示なし)
どんな論文?
FFXでプレイヤーは、主人公ティーダとともにスピラという世界を旅し、その「現在」と「過去」を知っていく。元々住んでいた近未来的な都市を怪物「シン」に襲われ、1000年後の世界へ流れ着いた主人公が、スピラの歴史を知りながらシンの討伐へ進む――大きく見れば一本道の物語だが、移動手段を得てからは世界を飛び回り、サブクエストは任意で進めることになる。
ダートマス大学で比較文学を研究するウォッシュバーン博士は、この複雑な作品を、ゲーム研究や物語論の見方を紹介しながら読み解いていく。ゲームは文学作品のように「読む」ことができるのだろうか。極論すれば、重厚な物語を持つRPGでも、プレイ時間の大半はレベル上げやミニゲームに費やされる。それでも博士は、FFXのような作品については「ゲームを一つの物語として読む」ことが可能だと捉える。確かに文学作品と読者のインタラクションに関する「読者反応理論」――読み手が身につけた読みの約束事が解釈を形づくるという考え方――は、ゲームにも当てはまる部分が多い。こうしてスクウェア・エニックスによって「作られた」物語としてのFFXと、プレイヤーが体験するゲームプレイとしてのFFXが、「読者」という観点で広がりを持って捉え直される。
博士によれば、FFXの物語が最も興味深いのは、それが日本の近代経験の相似形として機能している点にある。近代日本は技術の発展と企業国家の台頭を「進歩」とみなす直線的な歴史観に基づき、共通のアイデンティティを持っているという感覚を擬似的につくり出すために、集合的記憶の場を大量に生み出した。スピラでもまた、廃墟や社会の慣習、過去を記録した映像球といった「記憶の場」から歴史が組み立てられていく――そこでは宗教が機械技術を禁じていた。中身は違っても、二つは想像された歴史のシミュレーションとして重なり合う。そして、プレイヤーが物語を明かし、その語り手になっていく過程は、皮肉にも、儚く消える泡のような歴史意識を手にしたという錯覚を生む――というのが博士の指摘だと私は理解した。
ここが面白い&読んでみてほしいポイント
この論文を読んで、「ゲーム」というメディアを「ゲームそのもの」「ゲーム内の物語」「プレイヤー」「作り手」「体験」といった要素に分けて解釈でき、その方法として既存の文学批評の知見が援用できることを知った。
ゲームに費やした時間にはゲームとプレイヤーの相互作用、作品への理解のプロセスが含まれている。リマスター版のキャッチコピーは、かつて泣けたか、そしていまも泣けるかを重ねて問うものだった。それは、FFXのストーリーを過去に体験したときの記憶との照合を求めるメッセージとして受け止めることができる。つまり、作品の感動にはプレイヤー自身の関わり方や記憶が影響を及ぼすということだ(それゆえ、どのようにゲームをプレイしたかも物語の解釈に影響を与える可能性を博士は指摘している)。
また、FFXのストーリーと近代日本の歴史的な物語の類似性の指摘も面白い。現代の日本は、FFXのクリア後のように、安定していたが偽りであった共通の物語を失った時代を生きているように思える。誰もが共有できる大きな歴史の物語はさらに失われつつある時代に、この作品はどのように受け止められるのだろうか。また、今後、私たちはどんな物語を求め、これから生まれてくるゲームはどのような物語を描くのだろうか。そう問い直すと興味深い。ゲームの物語を読み解くにあたってこの論文はいくつもの道具立てを与えてくれる。論文の続きはぜひ上記のリンクからご確認いただきたい。
※本記事は、論文の全文を機械翻訳で読んだうえで執筆しています。それでも誤りが含まれる可能性があります。お気づきの点があれば、ご指摘いただけるとありがたいです。訂正を行った場合は訂正の記録に記載いたします。
カテゴリ: 論文レビュー / タグ: #ファイナルファンタジー #FFX #ゲーム研究 #文学 #物語論 #日本研究
出典: Washburn, Dennis. “Imagined History, Fading Memory: Mastering Narrative in Final Fantasy X.” Mechademia, vol. 4 “War/Time”, 2009, pp. 149-162. https://doi.org/10.1353/mec.0.0089 (Project MUSEで無料公開)
※ウォッシュバーン博士は、源氏物語のほか、横光利一や大岡昇平らの作品を翻訳し、日本文学を研究する比較文学研究者である。
※博士は本論のために数か月かけて90時間近くFFXをプレイしたという。
