「元寇」のイメージは本物か? ― 米国の日本中世史研究者が蒙古襲来絵詞の「改変」を追った

日本史で習った「てつはう」は、もしかすると後世の人が書き足したものかもしれない。

教科書で誰もが目にした、あの元寇の絵。血を吹く馬、爆発する砲弾、異形の敵兵――あのイメージは、元は描かれていなかった可能性がある。そんな、これまでの常識を覆すような知識を教えてくれる論文がある。

今日の論文

  • 著者: Thomas Conlan(トーマス・コンラン) ― プリンストン大学(東アジア研究・歴史学)
  • タイトル: “Myth, Memory, and the Scrolls of the Mongol Invasions of Japan”(神話と記憶と蒙古襲来絵詞・仮訳)
  • 掲載: Elizabeth Lillehoj編 Archaism and Antiquarianism in Korean and Japanese Art(Center for the Art of East Asia, University of Chicago / Art Media Resources, 2013年)所収・第2章, pp. 54–73 / DOI: なし(書籍所収章)
  • 論文はこちらhttps://tconlan.scholar.princeton.edu/document/41
  • アクセス: 著者公開版を無料で読める(書籍所収章・CCライセンスなし)

どんな論文?

本論は、元寇を描く絵巻物の歴史的変遷と、その過程で加えられた編集をたどり、「歴史的事実」がいかに作られてきたのかを考察していく。コンラン博士は、鎌倉時代の元寇を描いた「蒙古襲来絵詞」(皇居三の丸尚蔵館蔵)が、どのような過程で成立し、現代までどう扱われてきたのかを追う。この絵詞は、元との戦いに赴いた武士・竹崎季長が、自身の武功を示して恩賞を得るために作らせたと言われる(これについても論文中では、財力を得たのち作成したとの記載があるため考えを改める必要があるかもしれない)。

絵詞の一部の場面が後世に手を加えられていることは、美術史家の松本彩氏がすでに指摘していた。博士はそれに加えて、炸裂する「てつはう(論文中の記載はteppō 鉄砲)」の姿も、その過程で描き足された可能性が高いと考える。

絵詞は竹崎季長の死後、所有者を転々とし、オリジナルは損傷してバラバラになった。自由に手を入れられたその時期に、誰かによってモンゴル兵と炸裂する砲弾が追記されたと考えられる。根拠は、江戸時代に絵詞を見た新井白石の記録である。白石はモンゴル軍が使った飛び道具の分析は行っているにもかかわらず、絵詞に関しては鞘の装飾品に触れるのみで、てつはうを見たことは言及していないのである。では「てつはう」はいつ描かれたのか。現存最古の1795年の写本にはその姿があることから、博士は、1709年に白石が見た後から1795年までの間に追加されたと推理する。追記の可能性が最も高いのは、1758年に蒙古襲来関係の資料集を編んだ北部九州の津田家。彼らはてつはうや異形のモンゴル人を記す文献に通じており、確信をもって絵に筆を入れられたのではないかと考えられる。実際、追記された画は墨の質が悪いなどの違いがあるのだが、一世代後に絵詞を見た人々はそれが書き足されたものだとは気づかなかった。

さらに19世紀、熊本の絵師・福田太華は写本づくりでオリジナルの「復元」を試みた。復元に際し、詞書を元に新たな場面を追加したり、後世の追記と見抜いた部分を省いたりしたが、砲弾と一部のモンゴル兵はその精査をすり抜けた。そして以降、この絵巻は教科書に採用され、元寇のイメージを可視化するものとして定着していく――というのが論旨だと私は理解した。

ここが面白い&読んでみてほしいポイント

正直に言うと、私はこの論文を読んでもなお、教科書で見た元寇絵巻のイメージから離れることができない。モンゴルの侵略は、恐ろしい髭の男たちが爆弾を炸裂させている場面として想像してしまう。

私たちは教科書で習った内容を「歴史的事実」として受け取る。特に画像は、あたかも実際の出来事を映しているかのように受け取ってしまう。だが問題は、資料が虚構性を持つことそのものではなく、受け取る側がそれを認識するのが難しいこと、仮に認識しても簡単にはそのイメージを覆せないことではないだろうか。弁慶が五条大橋で牛若丸と戦った逸話は創作であり、ナポレオンがアルプスを越えたのはラバだったとされる。それでも、白馬にまたがるナポレオンのイメージは強く残っている。

また、歴史的な資料は、さまざまな人の手を渡るなかで、その時代ごとの要請にこたえながら、改変を含む「復元」を経て今日に至っている。資料そのものが辿ってきた「歴史」があるということは、当たり前のことである。しかし、教科書に載せられた資料はあたかも元からその姿であったかのように見えてしまう。私はそこに疑いの目を向けたことがなかった。

なじみすぎた歴史上の出来事を異なる角度から眺め、世界の歴史と接続し、その違和感を差しはさむところに、日本研究としての日本史研究の特徴があるのかもしれない。論文の続きはぜひ上記のリンクからご確認いただきたい。

※本記事は、論文の全文を機械翻訳で読んだうえで執筆しています。それでも誤りが含まれる可能性があります。お気づきの点があれば、ご指摘いただけるとありがたいです。訂正を行った場合は訂正の記録に記載いたします。


カテゴリ: 論文レビュー / タグ: #元寇 #蒙古襲来絵詞 #歴史 #日本研究

出典: Conlan, Thomas D. “Myth, Memory, and the Scrolls of the Mongol Invasions of Japan.” In Elizabeth Lillehoj (ed.), Archaism and Antiquarianism in Korean and Japanese Art. Chicago: Center for the Art of East Asia, University of Chicago / Art Media Resources, 2013, pp. 54–73.(書籍のためDOIなし)/著者のプリンストン大学公式サイトで全文公開: https://tconlan.scholar.princeton.edu/document/41

※博士は複数の絵巻の写本を並べて見比べられるウェブサイトをプリンストン大学で公開している。https://digital.princeton.edu/mongol-invasions/index.php